小学校入学の前の1年間、わたしは保育園に通った。 話を急ぐが、ある日の午前のこと、先生がある本のページを開いて 「こんなものがあるのよ、おもしろいね」と、みんなに見せてくれた。 それは、木の実や木の葉や松ぼっくりを組み合わせて作った 鳥や動物のフィギュアだった。 これなら作れる、わたしはそう思って...
おエイさんは、わたしの伯母(父の姉)で 先年、享年110歳で亡くなった。 明治、大正、昭和、平成、令和を生き抜き 和歌山県では最高長寿者だった。 おエイさんは、わたしの母が長期の入院をしたとき 自営する田舎の小さな食堂を閉じて、半年ほど主婦代わりをしてくれ 中学校1年だったわたしと2歳下の妹はずいぶんお世話になった。...
『水曜の朝、午前3時』という、蓮見圭一氏による小説がある。 わたしは恋愛小説というものを毛嫌いしてきたが いつだったか誰かが貸してくれて、期待せずに読んだが期待を上回った。 それで若い仲間数人に贈って、読んでみろと勧めたことがあった。 だがこの記事は、その話ではないし、恋愛の話でもない。 40歳になった頃の、ある日曜の朝のことである。...
わが家のテーブルは、壁沿いに立つ書棚と向き合っている。 独り暮らしのわたしは、食事のたびそこに居並ぶ本の背表紙を 見るともなく眺めることになる。 引っ越しのたびに思い切りよく本も捨ててきたので 70歳となってそこにある本の面々は、ある意味で選ばれた者たちだといえる。 それらは、過ぎ去りし日の好奇心の燃えカスではあるが...
わたしが4歳だったころ、一家4人は 裏町のまことに小さな家で暮らしていた。 ときおり公園に紙芝居屋が立つこともあった時代だ。 父は、家から勤める製鉄会社まで自転車で通っていた。 まだテレビのない時代で、夕食後、家族はラジオに耳を傾けながら それぞれの時間の中にいた。 電球の明かりとラジオの声の下、チラシやカレンダーの裏に...
お迎えが待ち遠しい。 そんなことをいうと、闘病に身を削っている人に叱られそうだが この歳(70歳)であと30年生きることになる身なのだから どうかご容赦いただきたい。 ところで輪廻転生を信じるかと、もし問われたら ウ――ンと躊躇してから、わたしはコクリとうなずく。 もちろんコクリの理由はあって、一寸の虫にも五分の魂、という。...
わたしの家からだと、中学生が漕ぐ自転車で30分もあれば、海に着いた。 夏休み前の期末テストを終えた日、わたしはふたりの友人と連れだって 岬へと向かう上り下りの末に、別の友人ふたりと海辺で落ち合った。 そこは漁師町の地元の子しか来ないような入江の一角で 永年の波でうがたれた岩の大きな窪みに、ゆっくりと呼吸するかのように...
目の前の人が赤いカーネーションを見せて 「この花は赤いですよね、ちがいますか?」と訊いたなら あなたは、もちろん「ええ、赤いですよ」と答えるだろう。 わたしだって、本当はそう答えたかった。 小学校6年の担任は土井先生(40代、男性)だった。 算数の時間、カッカッカと黒板にチョークで 例問を解いてみせ、「ちがいますか?」と生徒に返事を求める。...
英文法や世界史や因数分解って、人生でなんの役に立つの? ありがちな質問が、いまも世界のどこかで囁かれているのだろう。 その質問に加担するわけではないが、多くの教師が教壇に立ち 説いてくれた教科書の内容は、わたしの場合はおぼろげである。 印象に残っているのは授業の場面ではなく 教師がその人間性をポロリと露出した瞬間のことばかりなのだ。...
新聞は読まないし、テレビも見ない。 以前は年に1日、大晦日の格闘技番組だけは見たが、最近はそれもしない。 画面のむこうに動くものを見るのは、ユーチューブだけである。 1日1食が定着しているが食べることは大好きで 料理番組をのぞいては、今度あれを食べよう、なんて考える。 アグレッシブな論客の意見をつまみ聞きしたり、昭和の漫才で笑ったり...