ジェイ・ルネサンス

大和魂の復興

心の原風景と大和魂

いまごろ「大和魂」などというと、古めかしく感じられるかもしれません。

WGIP政策にどっぷりと浸かってきた世代には、眉をひそめる人も少くないのではないでしょうか。

しかし、ジェイ・ルネサンスでいう大和魂は、むやみに荒ぶる魂の意ではありません。

 

 敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花

  しきしまのやまとごころをひととわばあさひににおうやまさくらばな

 

本居宣長が詠んだこの歌にこそ、大和魂を見つけることができます。

それは、朝の清新な空気の中でひっそりと咲く桜の花、のイメージです。

日本人であるあなたなら、その光景を思い浮かべることができるのではないでしょうか。

聞くところによると、多くの海外の人は、大規模な災害に見舞われても秩序よく行動する日本人の姿に驚くそうですが、そこにも日本人が心の中にもつ原風景の力があるように思えてなりません。 

大和魂の復興

ではなぜ、大和魂の復興を謳うのか。

この地球上には多くの国家があり、多くの民族が暮らしています。それをいま、仮に「世界」と呼ぶなら、世界は何かしらの「力の働き」を受けて、ゆっくりと変化しているといえるでしょう。その「力」の正体をここで論じることはしませんが、わたしたちの国 日本も変化を続けています。

変化を拒絶する必要はなくても、変化を直視しようとする意識は必要です。どのような流れに、わたしたちは身をゆだねようとしているのか。

そうした流れと変化の中にあって、わたしたち日本人が心の中でこそ守ってこられた原風景、それまでもが弱体化あるいは無力化されようとしているように思えてなりません。

 

立ち止まり目を閉じる

じつはいま述べたことには、矛盾が含まれます。

なぜなら、本来ならば心の中は、外部から侵されるはずがないのです。

しかし、いま日本人の多くは、依存傾向を強めつつあります。

地位ある人に、金をもつ人に、声の大きな人に耳を傾け、うなずき、依存します。

善し悪しは別にして、そのように変化してきたのです。

そして、その変化の根底にあるのは、自分の人生に対する過小評価なのです。

 

もしあなたが、そうした変化に疑問を感じるなら

ちょっとだけ、立ち止まってください。

そして目を閉じて、心の原風景を瞼に思い起こしましょう。

それだけで、流れは変わるのです。

Orabiグループは、この立ち止まりの実作業こそが

自分史への取り組みであると考えます。