エッセ自分史とは
人生の石ころを宝石に ――エッセの合言葉です
エッセとは、ラテン語による神学用語で「存在性」を意味します。
エッセイ(随筆)と似ていますが、似て非なるものです。
自分史は、自分の存在性を見つめ直すための道具だと考えられます。そして、誰もがマイペースで自分史を書けるように、作業を小分けした作文手法、それがエッセ自分史です。
小文ごとに完結させるので、挫折することなく続けることができます。
『記憶の澱』(「中野與一文庫」所収)の目次
『随想歌』(「中野與一文庫」所収)の目次
誰の人生にも、忘れかけた他愛ないできごとが、たくさんころがっています。その1つ1つをつまみ上げて、見つめなおしてみませんか? 宝石の原石があれば、磨いてみましょう。
書くことを楽しみながら、書き集めたものが、エッセ自分史となります。
エッセとは、どういう文章をいうのか。
そのイメージの拠りどころとして「中野與一文庫」に収められた『記憶の澱』をダウンロードしてご覧ください。随想の1篇1篇が映画のシーンのように描かれ、書き手の半生を物語っています。またエッセ例文として「汽車走る」の冒頭部を下にかかげました。
エッセ例文「汽車走る」(冒頭抜粋)
わたしが四歳だったころ、一家四人は裏町のまことに小さな家で暮らしていた。ときおり公園に紙芝居屋が立つこともあった時代だ。
父は、家から勤める製鉄会社まで自転車で通っていた。まだテレビのない時代で、夕食後、家族はラジオに耳を傾けながら、それぞれの時間の中にいた。
電球の明かりとラジオの声の下、わたしは毎夜、母が用意してくれたチラシやカレンダーの裏にクレヨンで絵を描いた。そしてそれはいつも、線路を走る汽車の絵だった。熱中するあまり、棒状の駄菓子を口に入れるつもりでクレヨンをかじっては、母に口をすすいでもらった。(つづく)
*デザイン書道家 青野よしこ氏による揮毫