小学校入学の前の1年間、わたしは保育園に通った。
話を急ぐが、ある日の午前のこと、先生がある本のページを開いて
「こんなものがあるのよ、おもしろいね」と、みんなに見せてくれた。
それは、木の実や木の葉や松ぼっくりを組み合わせて作った
鳥や動物のフィギュアだった。
これなら作れる、わたしはそう思って
その日の昼休みに園内の木々の間をうろついて、それらしいものを作り
先生に見せた。教員室に驚嘆の声が湧いた。
それから小学校3年くらいだったか、紙粘土細工に入れ込んで
これも動物作りに励んだ。
腹が床につかないよう、脚の作りに苦心したワニを
誤って妹が踏みつぶしたときは声を上げて泣いたものだった。
小学校6年になって、ホバークラフト作りに熱中した。
機体主要部となるファン(プロペラ)が強い風圧を下に向け
機体を浮かせる乗り物で、もちろんその模型を作るのだが
材料を揃えるところから始める。
ホバークラフト用のファンなど売ってはいないので
おもちゃ屋でプラスチック製の現代版竹トンボのようなものを見つけ
その部品であったファンを転用することにした。
結果をいうと、わたしの作ったホバークラフトは浮き上がらず
モーターの振動を持て余した機体が、ビビビビと床であがくだけだった。
中学2年で生徒会長に立候補したが当選かなわず
「整美」委員なるものを当てがわれた。
どういうきっかけだったか、ゴミ焼き場のゴミ分別器を作った。
大きな木製の枠に金網を張った物で、数人の協力を得たものだったが
その目的は何だったのか思い出せない。
ゴミの大小を分けるのか、不燃ゴミをつまみ出すためだったか。
結果として誰も使ってくれず、それ自体が大きなゴミとなり果てた。
要するにわたしは、イメージが先走りする性格のせいか
アート系のものづくりは得意だったが、物理系のものづくりは不得手だった。
前の記事に書いたが、来世でわたしは一国を治めたいと夢想している。
そのときは有能な物理アドバイザーを抱えるつもりだ。
そうしないと、理想と夢想と妄想がまじって
とてつもないものを作ってしまいそうで心配なのである。