おエイさんは、わたしの伯母(父の姉)で
先年、享年110歳で亡くなった。
明治、大正、昭和、平成、令和を生き抜き
和歌山県では最高長寿者だった。
おエイさんは、わたしの母が長期の入院をしたとき
自営する田舎の小さな食堂を閉じて、半年ほど主婦代わりをしてくれ
中学校1年だったわたしと2歳下の妹はずいぶんお世話になった。
田舎から連れてきた愛犬のクマは、毎日わたしが散歩に連れ出た。
白の紀州犬で、散歩の途中で土佐犬に突っかかっていくほど
勇猛だった。
おエイさんとわたしは妙に気が合って
父が仕事で遅くなる晩は、贔屓のテレビ番組を見ながら
こっそり、ふたりで酒を飲んだ。
贔屓の番組は、竹脇無我と栗原小巻が主演する恋愛物語だった。
おエイさんは生涯を独身で通した。
50歳近く離れたわたしは、おエイさんの若いころのことは知らない。
10年ほど前になるが、おエイさんが書きためていた短歌を
父の提案もあって、わたしが冊子に仕上げた。
おエイさん生前のことだ。
編集作業の途中、彼女の手書き原稿をパソコン入力しながら
わたしは1首1首を噛みしめた。
田舎の自宅近くに弟家族がいたし、甥も姪も頻繁に訪れては
世話をしてくれた。
そのことへの感謝を詠んだ歌が全体の多くを占めた。
それでも原稿に分け入ることで、彼女の孤独の深さを知った。
――眠れぬ夜 話す相手のなきままに 般若心経となえつ眠る
彼女の恋心の片鱗に触れたとき、わたしの心は凍てついた。
――連ドラで ハイネの詩集耳に触れ 読み耽りたる若き日しのぶ
――生涯に心に秘めし君はいま 何処の空でいかに過ごさむ
葬儀のあと、わたしは地元の新聞社に電話をかけた。
やがて、おエイさんの微笑む写真とともに記事が仕上がり
歌集の冊子について、読者から新聞社に問い合わせがあったという。
そういう伯母であった。
あっけらかんとした笑い声が、いまもなお胸に痛い。