お迎えが待ち遠しい。
そんなことをいうと、闘病に身を削っている人に叱られそうだが
この歳(70歳)であと30年生きることになる身なのだから
どうかご容赦いただきたい。
ところで輪廻転生を信じるかと、もし問われたら
ウ――ンと躊躇してから、わたしはコクリとうなずく。
もちろんコクリの理由はあって、一寸の虫にも五分の魂、という。
であれば、わたしにも魂の端クレくらいはあるだろう。
ところが死んで身が焼かれたあと、魂はどうなるのか?
魂の遺骨なんか見たことがない。
そこで輪廻転生の理屈を聞くと、ああ魂を使いまわすのだなと合点して
つたない疑問が解消されるのだ。
そうなると、夢見る老少年(わたしのこと)は勢いづいて
しっかり次生(いまは今生)の予定を立てたりする。
次生では国を治めてみたいと思ったりする。
いまの文明がいったん滅びたあとがいいな、などと思う。
きっと喜びより、しんどさがはるかに上回るのだろうな。
けど、挑戦しがいがあるよな。
わたしには30年後、お迎えを迎える(?)ときのイメージがあって
101歳か102歳で、ふつうに日常を過ごしているのだが
いきなり、なにか些細なことができなくなる。
たとえば指先に触れている壁のスイッチを押せない、とか。
あれれ? なんてわたしは笑うのだが、つぎの瞬間に気がつく。
ああ、お迎えが来たんだと。
ゆっくりとしゃがんで、床に横たわる。
だれかが呼びかけてくれても、もう別世界からの声に聞こえる。
わたしの顔には、苦悶のかけらもないだろう。
なぜなら、そうかいよいよ王様になるのかと、早くも胸を高鳴らせているのだ。
ああ、お迎えが待ち遠しい。
かようにどうしようもなく、老少年の妄想は果てしないのだ。