わたしの家からだと、中学生が漕ぐ自転車で30分もあれば、海に着いた。
夏休み前の期末テストを終えた日、わたしはふたりの友人と連れだって
岬へと向かう上り下りの末に、別の友人ふたりと海辺で落ち合った。
そこは漁師町の地元の子しか来ないような入江の一角で
永年の波でうがたれた岩の大きな窪みに、ゆっくりと呼吸するかのように
海水が出入りを繰り返していた。
その自然のプールに、作りたてのプラモデルの潜水艦を進水させるために
悶々とした試験勉強のトンネルをくぐり抜けてきたのだった。
ひとしきり潜水艦で遊ぶと、透明で毒のないクラゲを裸でぶつけあった。
そのときの記憶は、海面にキラキラと反射する陽の光のようにまぶしく
そして今も鮮明である。
2、3週間して、母が死んだ。胸を患って長く入院を続け
そして病院で死んだのだった。
夏休みのさなか、葬式も終えたが出かける用事も目的もなく
家にいたときのことだ。玄関で名を呼ぶ声がした。
出てみると、戸口に数人の学校仲間が立っていた。
ひとりは海に連れ立った友人で、あとの男女は同じ中学校だが
小学校卒業からはなんとなく疎遠になっていた面々だった。
「プールへ行かへん?」と友人がいった。わたしは「うん」と応えて
身支度をして、玄関の鍵を締めた。
なぜ彼らが来てくれたのかわかっていたが、プールへと歩く途中
不自然なほどに、わたしも友人たちも無口だった。
プール遊びをする間も、その暗黙の了解は続いて
わたしは普通にはしゃぐことに懸命だった。
やがてまた服を着て、プール前でわかれるとき、口を開いたのは女子だった。
「中野くん、お母さん亡くなったんやろ?」
「うん」
「元気出してね」
「うん」
この年の夏休みの記憶は、なぜか曖昧で、むしろ欠落しているとさえいえる。
潜水艦遊びの記憶は鮮明であるのに、プール遊びの記憶は
厚い磨りガラスの向こうの景色のようだ。
ただ、磨りガラスの向こうでわたしを呼んだ友人たちの姿は
すべての夏の中に遍在して、今でも夏のふとした瞬間に
懐かしい声を聞くことがある。