……この体験の翌日(五月十六日)、私は出勤すると、すぐに辞表を提出しました。
上司も友達も、何のことだかわからないので、ポカーンとしている。送別会を桟橋の上のレストランでやってくれましたけれど、何だか奇妙な空気なんですね。昨日まで、仲よくつきあって、別に仕事にも不満がなく、むしろ喜んで熱中していた私が、突然やめると言いだした。しかも、本人はうれしそうに笑っている。
そのとき私は、こんなふうにあいさつしたんです。
「こちら側に桟橋があって、向こう側に第4埠頭がある。こちら側があると思うから、向こう側があるんだ。こちらに生があると思うから、向こうに死があると思うんだ。死をなくそうと思えば、こちら側に生があるということをなくせばいいんだ。生死は一つだ」と。……『 -自然農法- わら一本の革命』(福岡正信、春秋社)より抜粋
【コメント】
この場面を短く評する力を私はもちません。福岡さんは自然農法の実践家であり、肥料も農薬も使わずに米と麦を育て、図抜けた収穫量を上げてきました。海外各地から招へいされ、理論と経験の両方を伝えました。若き日に、胸の病を得て自信喪失し、懊悩するなかで「この世には何もないじゃないか」と覚悟し、その翌日に辞表を出した、その日を描写した部分です。土と農こそが哲学の沃地ではないかと、思うことしきりです。