…「いよっ、にっぽんいちっ」
途端に周囲から歓声が漏れ、拍手が起きた。皆の目がますます秀に向けられた。それでも秀は顔にわずかな笑みをたたえたまま歩調を落とすことなく、ただまっすぐに歩み続けた。周囲が寄せる貪欲な視線に少しも負けない気高さがあった。
このとき、掬子は急に胸が熱くなるのを感じた。
祖母に将来の夢を聞かれたとき、いつでも「舞妓さんになりたい」と小首を傾げて語った姉である。その姉が当時の夢を叶えて目の前を歩いている。一家離散という不幸を逆手にとって、幼い日に語った夢を実現した姉が目の前にいるのだ。
「ほんまにそうや、日本一や、日本一綺麗な芸妓さんや」
掬子の目から、いつのまにか涙がこぼれていた。…『おそめ -伝説の銀座マダム- 』(石井妙子/新潮文庫)より抜粋
【コメント】
「おそめ」こと上羽秀を描いた長編ドキュメントです。主人公の秀は、その生涯に大輪の花を二度咲かせました。その一度目の花であった舞妓の後ろ姿に、妹掬子が涙する場面です。著者は掬子当人にも取材しているので、誇張のない描写なのでしょう。二度目の花は、バー「おそめ」のマダムとして咲かせました。多くの著名人が贔屓にした店、いやマダムであったとか。なかなか垣間見ることのできない世界に身を投じた女性の生涯が、どのような決算で締められるかという興味など、彼女にとっては愚問なのでしょう。