……部屋のなかは静まりかえり、ただ忍び泣きが聞こえるだけだった。ふとバケツに目をやった瞬間、感情が爆発しそうになった。大統領の血と組織のなかに、ジャクリーンの赤いバラが投げこまれていたのだ。胸がいっぱいになり、涙がこみ上げた。私にとってそのバラは、痛めつけられ、血にまみれ、苦悶するアメリカの象徴だった。狂気の男あるいは男たちによってもたらされた破壊に対比されるべき、自然の美しさの象徴だった。それはまた、大統領の地位、彼の結婚生活、家庭生活、二人の子供たちとの思い出の形見でもあった。殺人というものがこれほど忌まわしく思われたことはなかった。
頭からまだ血の滴り落ちている大統領の亡骸に目をやりながら、私はその場に立ちつくしていた。……『JFK謀殺・医師たちの沈黙』(チャールズ・A・クレンショー/岩瀬孝雄訳/早川書房)より抜粋
【コメンント】ケネディ大統領が暗殺されたとき、私は10歳でした。繰り返し流されるテレビニュースを見て、社会の出来事などに無関心だった母が「悲しいね」とつぶやいた声を私は憶えています。そういう意味で、私は事件と時代を共にした人間の一人であり、たとえ名優・名監督がこの場面を映画に再現しようと、私の記憶の底に沈む感傷を凌駕することはないでしょう。