……入隊の十二月一日。街なかを行進して伏見の連隊に向かった。京阪電車の四条駅に着くと見送りの人の陰に隠れて、彼女が従姉妹に支えられてホームに立っていた。そして十九日。いよいよ中国に渡るため、京都駅から広島の宇品港へ出発だ。汽車が動き出した。万歳の声が何度も響き、日の丸の小旗がちぎれんばかりに振られる。そこへ彼女が飛び出してきた。抱きかかえていたふろしき包みを投げ入れると人波にのみこまれてしまった。
熱い紅茶を入れた魔法瓶とサンドイッチ、それに封筒と母親の形見のサンゴの数珠が入っていた。冒頭で触れた私の命を救ってくれた数珠がこれである。手紙には「清く正しく生き抜きます。もうお酒もやめます」とあり、血判がにじんでいた。……『私の履歴書』(塚本幸一/日本経済新聞社)より抜粋
【コメント】まるで映画の一場面を見るような気がします。塚本さんは中国の戦地で被弾しますが、危うくも軍靴を撃ち抜かれただけで、その反動かサンゴの数珠が水田に飛び散ってしまったのだとか。そして復員後、被弾したその日に女性が病没したことを知ることになります。数行ながらも書き記したことに、女性への供養の想いがあったろうと、私は想像します。