いまごろ「大和魂」などというと、古めかしく感じられるかもしれません。
WGIP政策にどっぷりと浸かってきた世代には、それは特攻精神まがいに歪曲視され、眉をひそめる人も少くないのではないでしょうか。
しかし、ジェイ・ルネサンスでいう大和魂は、むやみに荒ぶる魂の意ではありません。
敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花
しきしまのやまとごころをひととわばあさひににおうやまさくらばな
本居宣長が詠んだこの歌にこそ、大和魂を見つけることができます。
それは、朝の清新な空気の中でひっそりと咲く桜の花、のイメージです。
日本人であるあなたなら、その光景を思い浮かべることができるのではないでしょうか。
聞くところによると、多くの海外の人は、大規模な災害に見舞われても秩序よく行動する日本人の姿に驚くそうですが、そこにも日本人が心の中にもつ原風景の力があるように思えてなりません。
ではなぜ、大和魂の復興を謳うのか。
ジェイ・ルネサンスのページ冒頭にかかげた、堤未果氏の著書の目次をご覧いただいたかと思います。
そうした日本の現況にあって、わたしたち日本人が心の中でこそ守ってこられた原風景、それまでもが奪われ破壊されようとしているからです。
じつはいま述べたことには、矛盾が含まれます。
なぜなら、本来ならば心の中は、外部から侵されるはずがないのです。
いま日本人の多くは、依存傾向を強めつつあります。
地位ある人に、金をもつ人に、声の大きな人に耳を傾け、うなずき、依存します。
そうした傾向の根源にあるのは、自分の人生に対する過小評価なのです。
とりあえず、立ち止まってください。
そして目を閉じて、心の原風景を瞼に思い起こしましょう。